院長 こまつだ あやか

〔保有資格:助産師、保健師、看護師〕

函館生まれ函館育ち、3人兄弟の長女。





高校生の時に家庭科の授業で出産の映像をみて助産師を志す。





大学進学を機に旭川へ。学生時代はバトミントン部、バスケットボール部、軽音楽部などに所属。バンド活動や映画鑑賞、お菓子づくりをして学生時代を過ごす。

大学卒業後は旭川市内の産婦人科で助産師として勤務。第一子出産を機に退職。





「助産師として学び尽くしたい」というプライドをもち、1人で抱え込む子育てをする。





その結果、産後4ヶ月の頃に産後うつと診断され精神科に入院。1年ほどかけて治療。その後、保育園での看護師勤務の後、第二子を出産。





自身の経験から苦しい子育てをしてほしくないと思い開業を決意。

2021年7月 開業助産師として活動開始。翌年22年にままかまど助産院開業。旭川市でも保健師として勤務し、妊産婦さんのサポートや乳幼児健診等の子育て支援に関わっている。





これまで、のべ500人以上の妊娠・出産のサポート、子育て支援の活動をしている。プライベートでは、3歳差の兄妹を育てる母。

みなさん、初めまして。助産師のあやかです。






わたしは市内の産婦人科で5年ほどお産のお手伝いをさせていただきました。





経膣分娩、帝王切開と300人くらいの方のお産に関わらせていただき、とてもとてもやりがいを感じていました。

















わたしが助産師を目指した理由の一つに「自宅出産をお手伝いしたい」という思いがありました。





高校1年生の頃に授業で出産の映像学習をしました。





その時に、「母はこんなにも力強く、逞しく、そして愛情に包まれいるのか」と、とても感動しました。





それから、わたしは助産師になることを決めました。





自宅出産のことを知ったのはその後1年ほど経ってからでしたが、





「出産だって自宅でできたら、本当の意味で家族で出産を迎えられる」と感じ、





自宅出産が多かった時代の「産婆さんになりたい」と強く思ったのです。





その当時は、お産をとりあげる人を「助産師」ではなく「産婆」と言っていました。





出産を控えた母だけでなく、子どもや家族のことを気にかけ、その後も何かあれば相談にのってくれたり、見守ってくれる存在でした。

















病院での勤務で、たくさんの経験をさせていただきました。





チームで働く大切さや、リスクのある方のサポート、緊急時の対応など本当に勉強になることばかりでした。





子育てが落ち着いたら、また病院に戻ってお産をお手伝いしたいとも思っていました。





でも、わたしの心の中には小さな穴が空いていました。





「わたしは、産婆さんになれているだろうか」そう思ったとき、開業したいと思っていた気持ちがもう一度強くなっていきました。

















わたしが大切にしたいのは





“1人の人、親子、家族にゆっくりと関わること”





だからこそ、開業して助産師をすることに決めたのです。

















まだまだ、未熟な部分がたくさんあります。





でも、1人の助産師として、また、1人の母として、子育てをするお母さん、お父さん、ご家族、





そして子どもたちに幸せな時間を過ごしてほしい。





その気持ちは誰にも負けません。





子どもが巣立つ時までのあいだ「人生で一番充実していた」と思えるくらい愛情に包まれてほしいと心から願っています。





そして、子育ては個育てじゃなくて、弧育てなんです。





みんなで少しずつ手を取り合って、重なり合って、そして大きな社会という輪ができる。





だから、ひとりで抱えないでほしい。





みんなで、みんなの未来をつくる子どもたちを育てていきしょう。

















わたしも、みなさんも、みんなで育ち合いましょう。